ひし もち。 拾遺和歌集/巻第一

天徳内裏歌合

もち ひし

左:卿(勝) 倉橋の山のかひより春霞としをつみてやたちわらるらむ 右: ふるさとは春めきにけりみよしのの御垣の原をかすみこめたり 2. 左:藤原朝忠卿(勝) あだなりとつねはしりにきさくらばなをしむほどだにのどけからなむ 右: よとともにちらずもあらなむさくら花あかぬ心はいつかたゆべき 6. 鶯、郭公が各2、桜が3、恋が5の計20番で戦われた。

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拾遺和歌集/巻第一

もち ひし

参考図書 [ ]• 卯花 左: みちとほみ人もかよはぬ奥山にさけるうのはなたれとをらまし 右:平兼盛(勝) あらしのみさむきみやまのうのはなはきえせぬ雪とあやまたれつゝ 13. 忠見の悶死 [ ] 二十番の勝負において判者の実頼は優劣を付けられず、持にしようとしたが、帝から勝敗を付けるようにとの仰せがあった。 。

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天徳内裏歌合

もち ひし

桜 左:(勝) あしひきのやまがくれなるさくらばなちりのこれりと風にしらすな 右: としごとにきつゝわがみるさくらばなかすみもいまはたちなかくしそ 8. (ほとゝぎす) 左:坂上望城(持) ほのかにぞなきわたるなるほとゝぎすみやまをいづるけさのはつこゑ 右:平兼盛(持) みやまいでてよはにやいつるほとゝぎすあかつきかけてこゑのきこゆる 14. 首夏 左:大中臣能宣(持) なくこゑはまだきかねどもせみのはのうすきころもをたちぞきてける 右:中務(持) 夏ごろもたちいづるけふは花ざくらかたみのいろもぬぎやかふらむ 12. その間、左右の講師はずっと歌を読み上げ続けていた。 款冬() 左:源順(勝) 春がすみ井手のかはなみたちかへりみてこそゆかめやまぶきの花 右:平兼盛 ひとへづゝやへ山ぶきはひらけなむほどへてにほふはなとたのまむ 9. 卑官だったは、出世を懸けて詠んだ歌が接戦の末に負けたことを悲観してその後食べ物を受け付けなくなり、そのまま死んだという逸話もあるが、その後の晩年の歌も残っている。 恋 左:大中臣能宣(勝) こひしきをなににつけてかなぐさめむゆめにもみえずぬるよなければ 右:中務 きみこふるこゝろはそらにあまのはらかひなくてふる月日なりけり 18. 左: あらたまのとしをつむらむあをやぎのいとはいづれの春かたゆべき 右:平兼盛(勝) さほひめのいとそめかくるあをやぎをふきなみだりそ春の山風 5. 渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書、2009年)、pp. 実頼は窮したが、その時帝が「しのぶれど」と兼盛の歌を口ずさんでいるのを高明が聞きつけ、実頼に伝えた。

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天徳内裏歌合

もち ひし

恋 左:(持) ひとしれずあふをまつまにこひしなばなににかへたるいのちとかいはむ 右:中務(持) ことならばくもゐの月となりななむこひしきかげやそらにみゆると 19. 概要 [ ] 歌題の提示から当日まで1ヶ月の期間をおき、進め方や左右双方の衣裳、歌を書いたを置く州浜(入り江などをかたどった飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さなどで後世の歌合の手本となった。 20番の内容 [ ] 1. 当日は午後早くから会場となるの準備が始まったが、左方の州浜の参上が遅れ、歌合が始まったときはすでに日が暮れていたといわれる。

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拾遺和歌集/巻第一

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桜 左:(持(じ;引き分けのこと)) さくらばな風にしちらぬものならばおもふことなき春にぞあらまし 右:平兼盛(持) さくらばないろみゆるほどによをしへば歳のゆくをもしらでやみなむ 7. 実頼は補佐の高明に決めてもらおうとしたが高明は平伏して何も言わない。 歌合は夜を徹して行われ、左方の10勝5敗5引き分けで終わった。

天徳内裏歌合

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恋 左:藤原朝忠卿(勝) あふことのたえてしなくばなかなかに人をもみをもうらみざらまし 右:藤原元真 きみこふとかつはきえつつふるものをかくてもいけるみとやみるらむ 20. 左方の方人から指摘があり、改めて鶯の歌を読み上げることとなったが、恥じ入る余り顔面蒼白となり、声も震えてうまく読めなかったという。