そういう努力もせずに、 ただ声高に「反日的」・「左翼」のレッテルを張る輩の方が、 歴史や日本を語る資格が無いのです。 「墨子は偉いなあ。 本誌では、保阪正康氏、青木理氏との鼎談シリーズなどに登場、戦前回帰の潮流に対し、歴史からの視点で警鐘を鳴らしていただいた。
18『と日本人』( 書下ろし)-2006• 『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)2019年• なかにしさんの両親は、旧満州国の牡丹江に赴き、大々的に商店を開いていた。
6第3集『昭和天皇、敗戦からの戦い』2007年。 『昭和史の深層 15の争点から読み解く』()2010年• 『昭和の空白を読み解く 昭和史の謎が明らかに』()-2003• 「ああ、そう」という感じで多くは語らなかったけれども、僕はその推薦文がすごく嬉しかった。 国家の政策によって満州には、開拓農民をはじめ、半ば強制的に入植した人たちも多い。
第1集『「靖国」という悩み』2007年。 同志社大学文学部卒。
『』()-1999• 著者 保阪 正康 出版日 2015-10-21 歴史を読み解く際に、地理関係や軍事行動を説明するために盤面で見ることはよくありますが、たとえば昭和前期に現れた日本のファシズムが、どのような構造で成り立っていたのかなどを、図形を用いて解説することを試みた書籍は、本書以外にはなかなかありません。 『陸軍中野学校 終戦秘史』(畠山清行 新潮文庫)-2004• なかにしさんは、特に晩年は多くの価値ある言葉を残しているように思えるからだ。 京都の私大に通っていた時はに反対するに参加する系の学生であり、1960年6月の運動最盛期にはそれまでの地元の商店主やタクシー運転手から『迷惑だ』との怒声がなかったこと、反対デモ参加者の多くは安保条約改定の中身を知らなかったことを明かしている。
『晩年の研究』()-1998、(講談社文庫)-2004• 『「戦後」を点検する』 半藤一利と対話、講談社現代新書-2010年10月• ある時、なかにしさんがゲストスピーカーで、シンポジウムにも出席してもらうために、北海道新聞の関係者となかにしさんと会食の席をもった。 憲法を100年守るというのは、この国が一つの形を作ることだと考えていたのであろう。 ところが今回、内閣法制局は内閣府と2回(2018年11月と今年9月)にわたって調整を行い、学術会議の側から推薦された研究者を必ずしも任命する義務があるわけではない、との確認を行ったというのである。
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