その際、2人が逃げようとしたところ失敗し、スタンガンで負傷したことが分かっています。 そして、少女たちは「部屋の掃除を1万円でしてほしい」という言葉に誘われ、渋谷から赤坂のマンションまでタクシーで連れてこられます。 2003年7月11日 吉里弘太郎容疑者はこの日、所有する2台のフェラーリを売却しています。
20ここでは私の憶測と妄想も含めて、様々なデータを元にその中の一部を取り上げながら、検証していこうと思います。 この日の深夜、娘が帰宅しないことを心配した被害者少女の家族から 警察に捜索願が出されました。 一説には優秀さに定評のあるお付きのI氏(当時)が、あちこちに金をばら撒くなどして大活躍したそうだ。
11計画が失敗した時の逃亡用の資金と考えれば、まだ納得は出来ます。 吉里弘太郎は本当に単独犯だったのか? 児童買春デートクラブは吉里弘太郎が一人で経営していて単独犯として片付けられましたが、事件の起きたマンションを借りたのは別人でした。 少女達は法律に触れる事をしている罪の意識などはなく、割の良いアルバイト感覚で仕事をしていました。
13あくまで偶然。
ケガレから天皇を守るための結界のような存在だったとか、儀式にも参加する聖なる存在だったなど諸説あるが、不謹慎ながら今回取り上げたアングラ系セックスワーカー達は、強いて言うならば「そういう存在」なのかもしれない。 アングラ専門のフリーライターとして活動 柏原蔵書はアングラ、つまり「アンダーグラウンド」と呼ばれる表には出せないような裏社会に関する記事を専門に執筆していて、「裏ブブカ」という雑誌を中心に記事を掲載していました。
4そもそも、吉里弘太郎容疑者が借りていたマンションの部屋は11階にあるわけですから。 一酸化炭素が漏れないように、しっかりとビニールテープで目張りもされていたとのこと。
プチエンジェル事件の異質性や児童買春が関連していることを考え、 少女たちの名前が漏れないよう、警察側が配慮をしています。
8しかし実は吉里弘太郎が亡くなったマンションには多額の現金があったということや銀行口座に35億円というお金が死後にあったということが分かっています。
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