「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。 常に変わらないスタンスで広く人気を博している。 ステージの後方のスクリーンには、当時のキャンパスや喫茶店の壁に見られたようなピースマークや落書きが書かれている。
12当初からライヴ活動を中心に全国を巡り、メディアにほとんど露出しないなかで高い支持を得て以来、「悲しみは雪のように」「Money」「もうひとつの土曜日」「J. 放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。
4浜田省吾と初めて会ったのは1969年。 大学のキャンパスには60年代後半からの学生運動の残り火がくすぶっており、若者たちは将来の展望をつかめずに葛藤していた。 プロフィール 1952年12月29日生まれ、広島県竹原市出身のシンガー・ソングライター。
18ライブハウス時代に歌っていた「遠くへ-1973年・春・20才-」は、彼が大学に入学してすぐに目撃した学生同士の衝突が背景になっている。 9万枚を記録。 それぞれ別々に上京し、AIDOで一緒になった。
170年代の後半は、日本のポップミュージックが激変した時代だ。 町支寛二(G)、小田原豊(D)、美久月千晴(B)、長田進(G)福田裕彦(KE)、河内肇(P)、古村敏比古(Sa)、佐々木史郎(Tru)、清岡太郎(Tr)、中嶋ユキノ(Ch)、竹内宏美(Ch)という不動のメンバー。 69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。
17Opening : THEME OF FATHER'S SON[-] 2. ステージで初めて歌ったという79年の「子午線」、アメリカ西海岸のAORのような「ミスロンリーハート」や「いつわりの日々」。 。
著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーティスト関連、音楽史など多数。 ライブに行ったことのない人には、彼がこんなに穏やかでアットホームな会話をするとは想像出来ないかもしれない。
1「長く置いたままになっていたワインを出してきて『もうこれ、飲めないかもしれないね』なんて言いながら栓を開けてみたら、『こんなに美味しかったんだ!』と思うくらいのビンテージのワインになっていた」 彼が、なぜ、これだけ根強い聞き手に支えられているのか、音楽はどう聴かれるべきなのか、そして、歌の生命力とは何なのか。
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