家康は当初藤原氏を名乗っていましたが、後に源氏を名乗るようになり、結果として征夷大将軍の称号を手にしました。 明治二十一年には従一位まで躍進したのであった。 幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。
18(征夷大)将軍となると坂上田村麻呂が有名ですが、将軍という役職は外敵と戦うためにその地方を軍権行政権併せ持って独立に治める権利があります。 10 徳川家治 1760~1786 家重の子。
8その後上洛、法皇が没すると征夷大将軍に任ぜられた。 ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。 征夷大将軍に、頼朝や尊氏など武家政権の創始者が任官されていたので、徳川家康も任官させた。
5和銅2年(709年)、陸奥・越後の蝦夷(えみし)を平定するために任命されたそうです。 当時は、武家の勢力が強く、朝廷は権威を保ってはいたけれど実質的な政権は武家勢力が握っていたものと推測しています。
6なお山本も、や、といった貴種が務める将軍の正当性が実権を握るによる鎌倉幕府支配の基礎になったことは認めている。