古川達郎『鉄道連絡船100年の航跡』p250 成山堂書店1988• 昨年、はこだてどっくで塗装を施し直したそうで、青い船体も煙突の赤いJNR(日本国有鉄道)マークも鮮やかです。 案内所兼乗車券売り場も設置され、切符の購入や変更が可能です。
15船首から船尾にかけて船底両舷設けられる鰭であるが、洞爺丸のものは長さ43m、幅60cm、厚さ16mmである。 操舵室左舷の補助レバーを撤去してCPP操縦レバーの動きを軽くし、先端グリップで微動調整可能とした。
6東京大学旧船舶工学科が所蔵し、造船資料保存委員会に寄贈された各種資料のうち、「青函連絡船「檜山丸」型図面」について整理し概要調査した結果 図面リスト を示す。 しかし港外に錨泊・踟蹰(ちちゅう)した船9隻のうち、無事であったのは2隻のみで、2隻が座礁、5隻が沈没した。 11時05分 午前中からの下り3便として運航を行っていたは、函館の鉄道桟橋第1岸(参照)に到着し、折り返し14時40分出航の上り4便となる予定であった。
しかし(昭和7年)度の74万9127トンを底に、翌(昭和8年)度には景気回復で8往復に戻し 、83万5676トンまで増加した。
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