妻のいなくなった「源氏」が自分を次の妻にすることを期待するのですが、あきらめて亡き「皇太弟(こうたいてい 皇位を継ぐことになっていた帝の弟)」との間にもうけた娘(後の「梅壺女御(うめつぼのにょうご)」)が伊勢神宮の斎宮として仕えるのに付き添って、伊勢へ行ってしまいました。 藤原道長はその甥との対立など藤原氏一族の内部での激しい権力闘争を行う一方、以下のように源氏一族とは縁戚関係の構築に積極的であり、源氏との対立関係にあるとはいいがたいこと。
父である大納言もすでに亡くし、格別の後見もないため、帝の一のきさきである弘徽殿女御をはじめとする後宮の女たちから嫉妬されながら、更衣は玉のような皇子を出産した。 II(第5巻-6巻)、III(第19巻)、IV(第82巻)として出版されている。 源氏は勉学を身につけさせるために、六位という下級の官位に留めおいた。
8月日は流れ「源氏」が29歳の秋、石山寺(いしやまでら)へ参りに行く途中、任務を終えた夫とともに上京する「空蝉」と、逢坂関(おうさかのせき 現在の滋賀県大津市にあった関所)で偶然に再会することになります。 武田説以後の諸説 [ ] は、現在の『源氏物語』には存在しない「輝く日の宮の巻」と「桜人の巻」の存在を想定し、それによって武田説に存在した「並びの巻」と「玉鬘系」の「ずれ」を解消し、「並びの巻が玉鬘系そのものであり、後記挿入されたものである」とした。 【第一部】 桐壷帝の子、光源氏は、帝の後宮に 入った藤壷の宮が幼時に死別した 母に似ていると聞いて思い焦がれる。
1その生涯は、栄華と同時に憂愁の日々でもあった。 「桐壺・第1帖」光源氏の母君は帝の寵愛を受けながら更衣という低い身分のためここにいた。 翌朝源氏は空蝉が脱ぎ捨てた小袿を持ち帰り、歌に思いを託す。
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