「サバサキの兄(あにい)」によって、仕留められたヒグマではあるが、彼がいなければ、もっと多くの被害者を出しただろう。 これは、致し方ないことなのである。
15悲劇の舞台となった山の名は、「カムイエクウチカウシ山(以下カムエク山)」。 当時の新聞は凄惨な現場を次のように報じている。 オホーツク海の流氷観光でも知られるこの町で最初の異変が察知されたのは作物の実りを控えた8月のことだった。
2総合と、Eテレで放送している番組の内容は、地域によって異なる場合があります。 それほど怖いとは思わなかった。 これで大丈夫と油断、トウモロコシは変わらず干され続けた。
12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠(ほふ)られた姿だった。 14日、この日は大規模な山がりが行われた。
翌朝、喰い散らかされた被害者等の人肉が散乱する現場を多くの村人が目撃したことで、地元では長く語り継がれた。 この時は、鉄砲で迎え撃ったものの当たらずクマは逃げた。
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