バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p26• 朝夕のラッシュ時には一時間に2-3本、昼と夜遅くを除いた時間帯にはおおむね1時間に2本の列車が運行されている。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 1953年 - 1960年にかけて後述のデハ20形、クハ20形、デハニ30形、クハニ10形の各形式に順次更新され形式消滅した。
7駅数:21駅(起終点駅含む)、3信号所• (昭和59年) 千平 - 下仁田間の赤津信号所付近で下り列車運転士の居眠り運転によるが発生、上り列車の運転士が死亡、125人重軽傷。
196号機• (国立国会図書館デジタルコレクション)• そこで山田が事態収拾に奔走した結果、合併契約を解消する代償として「高崎水力電気は所有する室田発電所(上室田地区、水力、出力800kW)を9万円で譲渡する」「電化補助費として5万円を贈る」ことによりこの問題を解決させた。 そして8月25日の臨時株主総会において高崎水力電気との合併仮契約解除が承認されると共に、電化の計画と軌間の拡張が協議され、資本金を200万に増資し社名を上信電気鉄道に改称し、初代社長に山田が選ばれることになった。
5クハ303の時にはデハ200形を連結して走ることもあり、その際は使用機会の少ない高崎側運転台を先頭にして営業運転に入った実績もある。 また、県内他社と異なり他社からの譲受車を導入していない。
形式名の「6000」は、昭和56年に出場したことに由来する。 路線データ [ ]• 川越西局 - 児玉局(深谷局、本庄局経由)• 廃止時点では下仁田から中和用石灰を搬出するために、デキ1形と所有のを使用した列車が設定されており、廃止前年度である1993年度(平成5年度)の貨物収入は3148万円であった。
(10年) 上信電気鉄道に改称(改称届出は )• 正面窓上部にはを装備し、1000形では尾灯の上に垂直に並べて配されていたは位置をぎりぎりまで下げ、尾灯の内側に平行に並べた上で特徴的なに埋め込まれており、バンパーと一体化するように(スカート)が設置されている。
161884年(明治17年)、の高崎線開通により再び交通の改革へ着手しようとの動きが始まり、1895年(明治28年)に有志によって・両山系の地域交通の便益を図り、同時に・青倉石灰山等の産出物の搬出を目的とした「上野(こうずけ)鉄道株式会社」が設立され、同年に高崎から富岡を経て下仁田に至る路線の免状を得た。 また1992年付での取り付けが行われた他、1996年にはのため運転台直後の座席の撤去と発行機など関連機器の設置が行われた。
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