慶応3年(1867)、第15代将軍・徳川慶喜の大政奉還により徳川幕府は終焉を迎え、京都守護職も御役御免となりました。
【会津松平家第14代当主 松平 保久】 松平家第14代当主の松平保久 まつだいら もりひさ)氏は、松平容保公の曾孫にあたります。 『』(ドラマ/1986年)• しかしこの頃には病が重く、食物は喉を通らず衰弱甚だしく、医者も手をこまねいて術の施しようがなかった。 10月、会津藩、品川第二砲台管守を命じられる。
17さすれば外交方針が一定し人心の不安は自然と鎮静することができる。 しからば前門の虎、後門の狼となり、なすすべがなくなる。 そもそも生麦のことはわが方に非があり相手はこれを責めているので理にかなったことである。
12家臣を水戸に派遣し・らの説得にあたらせる一方、容保は委細を幕府に言上し言いなだめ、一滴の血も流さずして勅書を返上せしめ、解決に至らせる。 万一にも無謀な戦争はしないように。
20容保は晩年になるといつも首から竹筒をぶら下げていましたが、誰もその中身を知らず、また容保自身もこのことを話すことはありませんでした。
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