これがいわゆる「 方広寺鐘銘事件」と呼ばれているものの概要です。 孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。
31797年、幕府はこれらの建物を直轄の学問所として再興し、昌平坂学問所としました。 大田南畝は文京区でも有名な文人かつ武士ですね。
湯島聖堂の聖橋門 湯島聖堂案内板 湯島聖堂の前身は、 上野で林羅山が開いていた朱子学(儒教の一派)の私塾と孔子廟です。 明治になると新政府の手によって学問所は大学になりましたが、1871年(明治4年)には閉鎖されてその後文部省が置かれます。 現在は史跡の「湯島聖堂」として一般の方にも開放されています。
18石段の上から入徳門を望む 湯島聖堂は、1690年、五代将軍徳川綱吉の命令によって建てられた孔子廟と朱子学(しゅしがく)の学問所です。
Sponsored Links 湯島聖堂のあじさい 6月中旬から7月にかけて、入徳門や水屋近くなどに、あじさいやがくあじさいが咲いていて風情があります。
お守りには 「学問成就守札」や、健康・開運の 「神農守札」、 「学問成就鉛筆」があります。
1935年(昭和10年)には、江戸時代の様式はそのままに、大成殿などが鉄筋コンクリートで再建されました。 その名は、『孟子』万章下の中の「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。 綱吉は、上野忍岡にあった林家私邸の廟殿と林家の家塾を、湯島の地に移したのです。
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