家族感が大好きだった関西ジュニアでは、なにわ男子に次いでりとかんやAぇとグループが組まれて。 バラエティ番組の出演やDVD発売、チャンネルなど、私がデビューのときに楽しみにしてたこと以上のことが今のJr. 初めての嵐でした。 ありがとう、大好きでした。
その時に目の前で今見ている人は永遠じゃないんだ、生きてはいるけどテレビから嵐は消えてしまうのかと思って。 自分のために大人しく降りよう。 ことある事にの事を 悪くいうんだよね。
の印象しかない ごめん きょも。 あれ?もしかして私ってそんなに好きじゃなかった・・・? 本人たちは変わらなくても周りが変わると、自分の気持ちまで変わってくる。 わたしは千賀担でありケント担でした。
17ケントが言っていたこと一つ一つを胸に刻んでわたしはこれからも生きていこうと思います。 Jrって滝沢くんプロデュースなんですよね?って滝沢くんにかなりお世話になってきてその中で増員ってさ. 嬉しさで浮かれてて、少クラや雑誌はまだ別れたまんまだったから、あんまり深く考えないことにしてた。
20なにわ男子の後ろで踊る、というわけで。 これに関しては康二くん自身が雑誌で話してくれたことで救われたと思います。 知らずに喜んだ自分が恥ずかしいとすら思ってしまった。
7康二くんのことが嫌いになったわけでも、 のことが嫌いなわけでも、 何か気に入らないことがあったわけでもない。
私はいつまでもケント担です。 ジャニーズに戻ってきたときには私の知らない人になっていました。 有難いことに、ジャーニーあたりまではキスマイのバックにいてくれたし、ドリボにも出ていたので千賀くんに会いに行けば寺西くんにも会えていたのでそれで満足でした。