また『高遠記集成』では、家村の男子すべてが早世したため、弟・家道の子・が伯父・家村のとなり、木曾氏を継いだとしている。
而して平氏は、其源軍に力を合するを恐れ、平門の卿相十人の連署したる起請文を送りて、延暦寺を氏寺となし、日吉社を氏神となすを誓ひ、巧辞を以て其歓心を買はむと欲したり。 前期混乱の事態を重く見た覚鑁は、涙を呑んで高野山を降り紀州(和歌山)根来に一宗を創設移住したのである。
19順調に信濃国、上野国(現在の群馬県)に兵を進め、横田河原(現在の長野県長野市)にて平家の大軍を撃破し、越後(現在の新潟県)の国府に入る。 (家定の子、祖)• かくして此絶大の風雲児が不世出の英魂は、倏忽として天に帰れり。 義仲の 寝覚めの山か 月悲し 訳: 木曽義仲は、この地で夜の月を眺めていたのであろうか。
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