「東アジア~」は70年に大道寺将司を中心に結成。 ちなみに逮捕時にメンバーが所持していた青酸カリは、あや子が勤務先からくすねてきたものである。
61970年代のの中には「東アジア反日武装戦線」と同じく爆発物によるテロを実行したものが多かった。 ではメンバーのうち2人が不審な行動を取っていたことを把握したが、現場を押さえることができなかった。 この事件後、メンバーは爆発の威力を抑えること、じゅうぶんな予告時間をとって予告電話するようにした。
14卒業後は新宿の診療所で臨床検査技師として働き始めた。 この電話で捜査中の午前11時5分ごろ、大成建設本社の駐車場の隅で時限爆弾が爆発、9人が重軽傷を負った。 この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。
シンナー缶爆弾。 翌年、東アジア反日武装戦線のメンバーら8人がようやく逮捕されたが、うち2人は現在も海外へ逃亡中だ。
12メンバー間では「浅川」という偽名で呼ばれていたが、これはあや子が浅川マキが好きだったからである。 この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。