裁判で稲井田は懲役3年。 店舗があるといってもゼロから支店をつくるようなもので、当然建て替えなければいけないし、 かといって建て替えるには敷地が狭いし、移転も大蔵省がなかなか認めてくれない。
第一銀行が吸収した朝日銀行は温かく迎えられたらしいが、合併自体がほとんど残酷物語。 この資金は20人近い議員に渡ったとされるが、結局レーダー基地は建設されることはなかった。
池田を失脚させて一時は経営の実権を握るかに見えた英一だったが、やがて伊坂や稲井田隆社長らを中心とする新経営陣との確執が表面化、結果として英一は常務を解任される。 だが、価格で折り合うことができず、交渉は事実上ストップした。
「金屏風の代金 裏金と確信 平和相銀疑惑で伊坂元監査役語る」『朝日新聞』1993年2月9日• 伊坂らは、最初は疑心暗鬼であった。
平和相互なら地元の商業高校出とかかなりいただろう。 その視察の結果、ひとつ、ひとつの店舗規模が小さく、使い物にならない店舗が多いと判定し、合併から1年経った12月段階には、継承した103店を62の支店または特別出張所までに絞り込んだ。
12また佐藤が当時の大蔵大臣であったとも懇意であることが分かり、実際は3、4億円の価値しかない金屏風の40億円で購入し、差額は大物政治家へ流す裏金という話を信じたのである。
12月、伊坂系の稲井田社長が降格し、大蔵省OBだった田代一正会長が社長に就任。 結局、その後も折衝を重ね、平和相銀の名前が残っているうちは仕方がないが、正式合併後は勘弁してもらうということで了承してもらった。
この検査で、融資額半分を占める約5千億円が回収不能のであると判明する。 旧平和の人間は、合併時3300人、出版時2100人と記載されている。 の著書『住友銀行人事第2部 旧平和相互銀行員25人の証言と軌跡』によれば、住友銀行に在籍している旧平和相銀行員は、合併時3300名、本書執筆時で2100名と明記している。
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