そこで(もう、旅に出てしまおうと思い)、(旅支度として)ももひきの破れを繕い(つくろい)、笠 かさ の緒 お をつけかえて、(足のツボの)「三里」 さんり、ひざ下にあるツボ に灸 きゅう をすえて(足を健脚にして)(旅支度をすますと)、松島の月(まつしまのつき)(の美しさ)がまず気になって、住んでいた家は人に譲り(ゆずり)(理由:帰れるかどうか分からないので)、自分はかわりに(弟子の一人の)「杉風」 さんぷう が持っていた別しょ(べっしょ)に移った。 扉も柱も腐ってしまって、とっくに荒れ果ててしまうところを、の意。
なお、「兼房」については義経の最後を看取った勇猛の将として『義経記』に詳しい。 曾良は芭蕉に同行してるのだから、季節は同じはず。
紀行文学の最高傑作とも称される『奥の細道』など、 5つの旅行記を残しています。 芭蕉の「夏草や・・・」に対応させて、植物で句をはじめたと思われる。
2見えるのは、ただ夏草が青々と生い茂っている風景だけです。 この句が詠まれた背景 芭蕉が 46歳の頃の作で、 岩手県平泉町で1689年5月13日(新暦6月29日)に詠まれました。 衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入(おちいる)。
3舟(ふね)の上(うえ)に生涯 しょうがい を浮かべ(うかべ)、馬の口(うまのくち)とらえて老 おい をむかふるものは、日々 ひび 旅(たび)にして旅(たび)をすみかとす。 「判官贔屓(ほうがんびいき」)という言葉が、義経から生まれたのは、みなさん、ご存じのはず。 当方、回答を要領良く纏められませんでしたが、趣旨を理解していただけたとのこと。
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